はしりがき

オタクが高速バスに戦いを挑んだりするブログです

ペンギン・ハイウェイを観た

タイトルでもう何もかもがあけっぴろげにされているので特に何も付け加えることがありません。

 

これから多少内容に触れたりするのでこれから観に行くオタク各位はそっと「戻る」を選んでほしいなと思います。できれば観てからこのページをもう一度開いてオタクがうめくさまを読んで共感なりドン引きなりしてほしい次第。

 

もはや感想でもなんでもなく物語の羅列かもしれないがそこはやさしい目で見てください。

 

僕は原作を読んでいる。最初と最後の数ページだけね。

正直に言うと読んだはずの原作の内容は覚えていなかった。それでも最後の数ページで深く打ちのめされたことだけは覚えていた。

なぜ挫折したのかは覚えていない。傲慢ともとれる主人公の語りに少年の僕が耐え切れなかったのかもしれない。

この年になっても声がついた冒頭の主人公の語りにむずがゆい気持ちになった。

 

主人公のアオヤマ君はおそらく頭が切れる少年で、周囲の子どもたちより冷静に物事を見ていた。

しかし彼の一番恵まれているところはその頭ではなく周囲の大人たちの姿勢にあると思う。

大人たちは彼の突飛で滑稽とも言える仮説を頭ごなしに否定しない。

「そんなわけない」「子供の言うことだから」とあしらわないのだ。これはフィクションだからそんな大人ばかりなのだといわれてしまうと返す言葉もないが。

こんな大人たちに囲まれアオヤマ君はどんどん思考を巡らせ突き進んでいく。

 

そして物語が大きく動き出し、いよいよ現代の科学、つまりは大人たちの手にあまる局面でアオヤマ君は「お姉さん」とともにすべてを終わらせるために動き出す。もはや世界を救えるのは仮説を突き詰めた彼と「お姉さん」しかいなかった。

 

ペンギンが現れた時も、すべてが終わった穏やかな時間もアオヤマ君と「お姉さん」の関係に変わりはない。ちょっぴり成長したアオヤマ君と達観したような微笑みで優しく見守る「お姉さん」。

そして終盤に「お姉さん」が放った一言が何年も前と同じように僕を打ちのめした。

ああ、あの日の胸の痛みはこれだったのか。

なぜ「お姉さん」は微笑んでるんだろう。もはや自分が何者かさえわからなくなった「お姉さん」はどんな気持ちでいるんだろう。僕には何もわからなかった。ただそこにすべては終わってしまったのだという安心と整理がつかない悲しみだけがあった。

最後に冒頭と同じようにアオヤマ君は語りだすのだそうだ。もはや覚えてすらいない。

最後の最後にアオヤマ君が放った一言で締めくくられた瞬間の安心したような虚脱感が今でも鮮明に思い出せる。

 

読み返すと頭が悪いのがもろわかりの文章になったのでこれくらいで終わりです。

 

頭にきたときはおっぱいのことを考えると幸せになれるそうです。アオヤマ君は世の真理に気付いている…末恐ろしい少年だ…